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2013年8月29日 (木)

吉本隆明と鮎川信夫そして、スガシカオさん

スガシカオさんが好きな詩人にあげた鮎川信夫さんの詩が
すぐに、見つかるのならば、
そんなに読むこともなかったのだとおもうのですが、
吉本隆明さんは、たくさんの日本の詩について語っていて
鮎川信夫論も書かれている。
鮎川さんの詩を読む前に図書館で手にしたのだけれど…。
この戦前と戦後の間の戦中時代の詩や文化というのは
戦争をはさんでイデオロギーが変化したことで
ろくに目にする事なく、今日があるように思います。
「現代日本の詩歌」という宇多田ヒカルさんから萩原朔太郎まで
という広いジャンルの詩評にhttp://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/42999594.html
鮎川さんの詩「アメリカ」をとりあげていて
『自分がリベラルであることもかくさないで、戦争に参加して祖国の為に闘った事も隠していない。これはなかなかできないことで、尊敬に値することだった…プロレタリア詩と違ったやり方で現実を詩の中に導入できることを知った』
と評してました。
最近、やっと手にした鮎川信夫詩集で
鮎川さんの言葉による随筆のひとつ(詩人の出発)に
ドキっとする文章があった。
長いんですけど。。
『我々は一篇の詩の価値が、一人の詩人の運命とふかく繋がっているものであることを認めざるを得ない。戦争と戦争のあいだに挟まれ不安の時代を生き、そして青春の一時期を戦争の大きな犠牲のうちに過した我々が敗戦による一時の平和が齎されたとはいえ、今もなほ不安は我々の精神の上を低迷して去る事はない。現代は荒地のままに放置され、悲惨と屈辱と暗愚にみちた我々の文化は、何等の判決も受ける事なく依然として未決状態にある。戦争による青年の血は一体何のための犠牲であったのであろうか。それが献げられたのではなかったとしたら、そして我々の苦難と試練に何の意味もなかったのだとしたら、我々が今後とも生きてゆくということに何の意義もありそうに思われないのである。自己の生に何の意義をも認めずに生きるという事は、単なる生命の喪失よりも悪しきものである。故に我々が詩を書いているということは、何らかの意味で、自己の生の意義を証明するところのものでなければならぬ…』
戦争を原発におきかえると言ってる事が
すごく身近に感じられてくる。。
糸井重里さんのお悔やみの言葉
http://www.1101.com/home.htmlがこころにのこりました。

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